2012-05-31 (Thu)
曇りのおだやかな日和となりました。
涼しくて、子どもたちの外での活動には丁度良い、くらいでしょうか。

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さて、今日は小川先生(和太鼓のプログループ[ZIPANG]所属の音楽講師)による、今年度最初となる正課での音楽指導が行われました。
当園では、日常的にはクラス担任が行っている音楽活動ですが、このように時々プロに見てもらっているものです。

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年少児さんはメロディオンの基礎的なところ、年中・長児さんは、運動会に向けての曲まで、見て頂きました。

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音楽は幼児期の育ちの上で、潤滑剤的な効果が期待できる活動だと言われています。
指先、耳、口、さらに和太鼓では体全体を使っての活動になりますので、これらの感覚を刺激する良い体験になるものです。
さらに、
年中~長児さんなどでは、皆で一緒に力を合わせて発表する、という幼児期の集大成的な[協同の体験]に繋がっていくものですね。

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さて、
しあわせを受け止める器を絶対に下に向けない、というお話をさせていただきました。
今日は、その器をいかに上に(!)向け続けておくか、というお話をさせて頂きます。

私たちのこころの中の器は、いろいろな要因で揺れてしまいがちなものです。
上司に嫌味を言われた・・、ちょっとしたことで夫と言い争ってしまった・・、
子どもが何度言っても、言う事をきいてくれない・・、などなど
日常的にいろいろなことがありますね。
このように、
多少、揺れることはあっても、しっかりとまた、[上に向ける努力をする]ことが、しあわせ力を上げる私たちの修行だと思います。

そのための、お話ですが、
私たちのこころの中には、しあわせの恵みに対する感度、感受性、というものがあるように思います。

ささやかな事に対して、しあわせを感じられる人は、その感度が良好です。

100万本のバラを前にしないと、しあわせを感じられない、という人は、その感度が鈍い、感受性が乏しい、と言えます。

そして、
器をしっかりと上に向ける、ということは、[さまさざまな、ちょっとしたことに、しあわせを感じようとする努力]のことです。

この感受性を磨いていく、何が起ころうとも、上に向け続けていくぞ、という信念を貫ぬこうとする、積極的な意思のことです。

一本のバラにも、しあわせを感じようとすること、
道端のたんぽぽの花にも、しあわせを感じようとすること、
嫌味を言う上司に対しても、自分に気合をいれてくれている=ありがたい存在、と感じようとすること、
言う事を聞かない子でも、子が生まれない家庭もあるのに、自分には授けられている、ありがたい、と感じようとすること、
目が見えない、歩けない、など、体が不自由な人もいるにの、自分は五体満足だ、ありがたい、と感じようとすること、
食べものに不自由している国もあるのに、今の日本は食料が豊かでしあわせだ、と感じようとすること、
ちょっと前までは、アメリカと戦争をしていて、空から爆弾が降ってきていたのに、今の時代は平和でしあわせだ、と感じようとすること、
昔の人は、テレビなど見れなかったのに、今は高画質で好きに見られて、しあわせだ、と感じようとすること、
今は、インターネットで世界中の情報に触れることが出来て、しあわせだ、と感じようとすること、
さらには、
今日は大地震がおきなくて、しあわせだ、と感じようとすること、
竜巻が来なくて、しあわせだ、と感じようとすること、
etc・・
etc・・

このように、私たちが、しあわせを感じることが出来る、[ネタ]は、ほとんど無限にあると言えます。
たくさんの[ネタ]に囲まれて私たちは生活しています。
それなのに、
何のしあわせも感じられない、というのは、あまりに感受性が鈍い・・、
なろうとする努力が足りない、なろうとしていない、何も考えていない、からです。

何か、大きな幸運が来て、誰かが、自分をしあわせにしてくれる??・・、と受身的に過大な期待を抱くのは、自由ですが、
そんなことを待っていては、いつまでたっても、しあわせにはなれない、と思います。

ここは、積極的に、自分から、しあわせになりに行く(!)、のです。

しあわせ、とは、まず、[自分で積極的に気付いていくもの]、[今の自分はしあわせなんだ]、と思っていくもの、です。
今の自分にある、無限のしあわせの恵み、というものにしっかりと自分の意識を向けていこうとする、その努力が、器を上に向けていく、ということ、
しあわせをどんどん受け止めていく、修行だと思っています。

何があっても、器を上に向け続けるんだ(!)、という強い決心、意思を持ち続けたいもの、なのです。 (続く)
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